インフレの起こる原因(ケイジアン)

はっぴいえんどさんから重要なご指摘を受けましたので、インフレの起こる原因について書き直しました。以前、私が書いていたものはマネタリストの観点から見ておりましたので、インフレデフレの原因を物がわにあるとするケイジアン(ケインズ経済学)のインフレーションの考え方にもふれたいと思います。

デマンド=プル=インフレーション
需要が供給を超えた場合に起こるインフレーション

コスト=プッシュ=インフレーション
需要が増えたり、賃金が上昇したりすることによって、製造コストが上がり、それが製品価格に上乗せされるため、価格が上がるケースがあります。最近では、信越化学が、原料の値段が上がったために、製品価格を引き上げる・・・というニュースが流れましたネ。
賃金の上昇に関しては、雇用状態が悪化すると、賃金の上昇が据え置かれることが多いので、インフレ率の鈍化につながるケースがあるようです。

需要増 → 原料価格高騰 → 製品価格に上乗せ → インフレ
※市場の独占化によって価格のつり上げが行われた場合にも、物価は上昇します。


インフレの起こる原因(マネタリスト)

ケイジアンのそのような考え方とは反対に、中央銀行が貨幣の供給量を変える事で物価をコントロールできると唱えている(※注 Mv/Y=P という簡単な式です)マネタリストと呼ばれる経済学の学者の方々がいらっしゃいます。

※注 Mv/Y=P

  • M = お金の量
  • v = お金の流通する早さ
  • Y = GDP
  • P = 物価

インフレリスク

一度インフレがはじまると、注意しなければならない点が出てきます。
それは、先々のインフレ懸念のために、インフレ圧力がさらに強まってしまう・・・ということです。
(この先はインフレになるに違いないと人々が考え、インフレ対策のために、賃上げを要求したり、賃上げをしたために製品価格が上昇してしまうという、負の循環が起こること)

また、金利(定期預金など)よりも、インフレ率が高くなってしまった場合も注意です。
(例えば、金利が3%ですと、それ以上の10%のインフレ率ですと、通貨の下落のスピードの方が速いため、預金として預け入れているほど損をしてしまう・・・ということです)

このような状態では、定期預金などに預け入れるよりも、現物の資産を購入しようとする動きが強まり、さらにインフレ圧力が増加します。

金利よりも価格の上昇スピードが上 → 現物を買う動き加速


インフレの形

ギャロッピング=インフレーション
急速に物価が上昇する形のインフレーション

クリーピング=インフレーション
緩やかに上昇する形のインフレーション


インフレを収束する方法

【その1】総需要を減少させる
公共事業や減税を減らし総需要を減らすことで、インフレを収束する方法です。
公共事業や減税を減らす → 総需要が低下 → インフレが収束


【その2】供給を増やす
石油が足りない場合、石油価格が高騰し、石油関連の製品も高騰してしまいます。
その為、それを解消する方法として、石油産出国の石油の増産が考えられます。
石油の増産 → 石油の供給量UP → 石油価格下落 & 石油関連商品下落 & ガソリンを使った輸送コストの下落


【その2】金利引き上げ
金利を引き上げますと、物を買うよりも銀行や郵貯などに預けていた方がリスクも少なく有利ですし、借金をした際には、支払わなければならない金利負担が増えるため、購買意欲が抑えられ、インフレが収束しやすくなります。
金利を上げる → 借金の負担増による購買意欲の低下 & 預金の金利が上昇することによって、購買よりも預金にお金が流れる


【その3】為替を固定
また、南米のハイパーインフレの際に行われたように、為替相場を固定制にして、物価を安定させることによって、インフレを収束させた例もあるようです。
為替相場を固定制にする → 物価が安定 → インフレが収束


【その4】新円発行
さらに、戦後まもなくの日本のように、その国で流通している通貨量を減らすために、一旦預金封鎖をし、強制的に国民の持っている通貨を新円に切り替えさせ、さらに国は超・緊縮財政をとるという方法もあります。戦後まもなく猛烈なハイパーインフレに襲われていた日本は、この方法によってインフレを収束させることに成功しました。

しかしながら、コレにも裏がありまして、こんなすさまじい荒療治をを日本がとったにもかかわらず、その後の日本が経済成長を成し遂げられたのは、朝鮮特需があったからです。コレが無ければ、もしかすると、日本はその後も失業者の増大や雇用不安に長々と苦しんでいたのかもしれません。

預金封鎖 → 新円切替 → 緊縮財政 → インフレ収束


恐るべきインフレ物語

【ドイツ編】
現在、専用ページにてドイツのハイパーインフレについてのページを製作しています。


【イタリア編】
イタリアにおいても、資源が乏しく、経済も脆弱であった上に、第一次大戦の戦費を外債から捻出したため、強いインフレーションになってしまったのでした。
このためイタリアでも社会党が大躍進。それに危機感を抱いた資本家や地主がファシストを支持したため、ファシストが台頭してしまったのでした。


【日本編】
日本では、第2次大戦後に、ハイパーインフレになりました。
どうしてハイパーインフレになってしまったのかと言うと、戦時中の政府の通貨政策に問題があったのです。戦時中は、たくさんのお金が必要になりましたので、戦時国債を発行して、まかなっていたのでした。

その戦時国債は主に日銀に引き受けさせていたのでした。しかも、こんな風にジャブジャブに通貨を発行し続けると、普通はハイパーインフレになってしまうのですが、価格統制などが行われていたため、戦時中はインフレが表に出ることはありませんでした。

戦後は価格統制もなくなってしまったので、ハイパーインフレが表面化してしまったわけなのですが、ジャブジャブになっていた通貨の量を減らすため、日本政府はGHQの指示の元、預金封鎖をしました。
さらにその後、新円切替を行い、さらにその上に重い財産税をかけました。
(戦後に起こったハイパーインフレによって、戦時国債の価値は暴落し、無理やり戦時国債を買わされた人や、無理やり現金を戦時国債に引きかえさせられた人々は大損・・・してしまったのでした)


【アルゼンチン編】
アルゼンチンのハイパーインフレは、1980年代後半からはじまりました。昔のアルゼンチンは、資源も豊富で、アメリカに並ぶほど、豊かでお金持ちの国でした。

ハイパーインフレが起こるまでの数十年間にわたる政治の不安定さや、補助金のばら撒きなど、様々な要因から、国の財政は悪化してしまったのが、アルゼンチンのハイパーインフレの原因でした。
1990年台になると、財政赤字とハイパーインフレ対策のために、ドルに通貨を固定する方法(カレンシー・ボード制)がとられました。

また、当時の大統領をしていたメネム大統領は、国営企業の民営化をしたり規制緩和をしたりしたため、一時的にアルゼンチンの経済も復活したかに見えました。
しかし、その影では、アルゼンチンの対外債務は、着実に膨れ上がっていきました。
財政赤字を対外債務で補い続けたのです。

その後、アルゼンチンがまたしても決定的に苦境に立たされたのは、1999年にブラジルが変動相場制に移行してからでした。それによって、割安な通貨のブラジルの輸出産業は競争力を得たのですが、アルゼンチンの輸出産業は、競争力が低下したのでした。

その為、ペソ切り下げ懸念が浮上し、銀行からお金の引き出しが相次ぎました。そこで、当時の政権は、預金の引き出しを凍結させたのですが、そのことで大規模な暴動が起きてしまいました。その後、アルゼンチンの為替相場制は固定相場制から、変動相場制へ移行したわけなのですが、アルゼンチンの通貨は、そののちもさらに下落してしまいました。インフレ率も年率40%を超えているようです。

アルゼンチンは債務国です。一時的に公的対外債務の支払を停止すると宣言した時期はありましたが、現在でもたくさんの借金を抱えています。


【インフレの起こる原因】(まとめ)

インフレの原因はたくさんあります。
今回、はっぴいえんどさんからメールを頂いて初めて知ったのですが、この世の中には、ケインズ経済学の流れを受けたケイジアンの方々と、物価は通貨の供給量に左右されると説く、マネタリストの方々などがいらっしゃいます。
(そのほかにも古典派だとか色々いらっしゃるようです)

今回勉強させていただいた感想としましては、私は、ケイジアンの方々が主張される事柄や、マネタリストの方々が主張される事柄が複合的に絡み合ってインフレが起こるものなのだと思いました。
(なにぶんど素人の率直な感想や文章ですので、間違いやお気づきの点がございましたら、ご連絡いただけましたら幸いです)

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