【石橋を】 バブル相場を知る 【たたいて渡る】
株式相場のバブルが起こると、様々な症状が出てくるようです。
その様々な症状を分析したり理解することで、バブルの起こりやすい株式相場で生き残る方法を見つけ出すことが出来るかもしれません。
バブルに飲まれて一儲けして勝ち逃げできるか、バブル崩壊と共に沈むのかの分かれ道は、株式相場のバブルの知識があるかどうかだけではないかとは思いますが、知っておいた方が宜しいのではないかと思い、こちらのページをUPしました。
新人類相場(87年のバブル相場)
↓のバブル時の情報は、はっぴいえんどさんから頂いた貴重な情報です。
(はっぴいえんどさんに感謝)
内需優良株、東電、三菱銀行、味の素、花王、野村、NTTが市場最高値をつけたとき。(87年4月)当然、三井不動産、鹿島、新日鉄等の株も中段の高値をつけます。
忘れもしない、87年4月5日に円高、債券高の流れが崩れ内需優良株が総崩れハイテク株に流れはスイッチしました。
87年10月のブラックマンデーまでこの流れは続きます。
この間のもう1つの特徴として、225銘柄の小型株の上昇(白煉瓦等)により、27,000まで日経平均は上昇、TOPIXは上がらないという実質的には調整色の強い相場でした。
↓の情報は、2chの株式版のスレッドから転載しました。
87年米国発のブラックマンデーで日本の東京市場も暴落したとき、証券会社の株ボードは、ほとんどが売り気配で値が付いていませんでしたね。それはそれで、一種壮観な情景でしたね。
一部の人は、今日は仕事にならないと言って、株ボードの前で記念写真を撮ったりしましたよ。
一部、ほんの数銘柄だけが値を付けたと記憶してます。
一番最初に値を付けたのが、「帝國石油」でしたね(笑私自身は、89年12月の39000円弱に登り詰める過程での数週間で、「何かおかしいなぁ」と、クイックの端末を見ていてそう思ってました。
そうですね、日経平均株価と先物だけが上昇して行くんですが、個々の銘柄はそれほど上昇して行かず、むしろ下げてる銘柄が多かったですから。原因といえば、買い過ぎた事による株価の自己崩壊という事なのでしょうが・・・まあ。直接の原因といえば、当時の日銀三重野総裁による ”短期金利の高め誘導”による、株価を冷やす金利政策だったと思いますが。いわゆる証券会社や株式評論家等が、どんどん強気の上昇予想を言い出して 、皆が皆、総楽観になった時は”要注意”だと思って警戒すべきでしょうね。あの当時でも、日経平均が30000円を超えたあたりから、そういう一部の専門家といわれる人々が、日経平均「10万円」説をぶち上げていましたから。
暴落する時はあくまで”暴落”であって、それは一気に急落する、信用売りも仕掛けられないほどの暴落なんです。 言ってみれば、急勾配の坂を下る様な個人が信用売りでコントロール出来る様な代物ではなく、足元に突然大きな深い穴が開いて、真下に真っ逆さまに穴の中に落下する様な”暴落”なんです。
だから、暴落時に信用売りを仕掛けても、何しろ値が全然付かないのですから、信用売りも約定する事はあり得ません。それほどの恐ろしいものなんです。暴落の怖いところは、下がるだけではなく、その翌日は逆に値ごろ感を持った投資家が一挙に買いに殺到して反転暴騰して、今度は買いを入れても値が付かず、買い約定も出来ない・・・そんな状況を総じて”暴落”というのです。
仮に暴落時に信用売りを仕掛けて”運良く”約定しても、その翌日は、逆に一気に全株全面暴騰し、日経平均で何千円も踏み上げられるのです。 そんな状況でも信用売りを仕掛けるのは、余程の”勇者”か余程の”資産家”か余程の”素人”なんでしょう。ブラックマンデーの様な、又日経39000円からのバブル崩壊の様な”暴落”は、いわば一方方向の暴落なんていう代物ではなく、暴落と暴騰を日替わりで繰り返しながら株価が急落して行く、”ダッチロール”の墜落の様な”暴落”である事を 是非理解しておいて下さい。
ネット系の個人投資家は、逆に行け行けドンドンの横並び体質がありますので、一転暴落が起こったら、過去の暴落以上に売りが売りを呼んで、サーバーダウン等も相まって、過去の暴悪以上の凄まじい想像以上の暴落になると私は思ってます。
”単なる信用売り”のポジションとは別に、”裁定取引(アービトラージ)”による売り誘導・売り仕掛けというのはあるんですよ。 現物と先物との裁定、株式と国債との裁定、株式と商品相場との裁定・・・・
こういう裁定取引による利益の確保は、目的を持って売り仕掛けをする事によって、あえて暴落を仕掛ける・呼び込む・・・そういう手法もあるんです。89年の日経の39000円からの暴落の発端は、この外国証券筋による裁定取引による暴落が引き金になりましたね。
郵貯の利率が7〜8%になってるという事は、公定歩合の何度もの切り上げ、短期金利の高め誘導政策が日銀によって実行されてるという事に他ならないから、そういう時期には、日経株価も 株から債券 へのシフトが進んでいて、つまり日経平均株価も全体的に上げの最終局面、或いは下降局面にすでに入りつつあるという事を意味します。
だから、そういう局面では「指をくわえてみてる」だけの方が、投資姿勢の態度としては賢明なのかもしれませんね。 私なら、それ程の金利が高くなった時点で、確定利回りの債券運用に、預貯金運用に運用のポートフォリオのシフトを考えますね。
ちなみに、過去のバブル破裂直前の10年物定額貯金、5年利付き債券の利率は年率で7〜8%程度の高金利でした。個人年金の利回りも、最高の年率5..5%程度でしたから。
ITバブル相場(99年のバブル相場)
↓の情報は、2chの株式版のスレッドから転載しました。
ITバブルって興味なかったから知らなかったんだけど、
上に出てた (株)○○○○○○○○○○○○ (○○○○:○○○○)の2000年4月付近のヤフー掲示板見ると、なんだか凄かったんだな。 (↑の銘柄名・銘柄番号は伏字にしました)>私は、初値の5300で買ってますが、まだまだ持続です。この株は絶対に1億を
>超えてきますので、それまでずっと持つつもりです。そんな、ホルダーの神経を
>逆なでする事ばかり言って楽しいのですか?>私は公募が当りました。
>イートレードで。
>高値では売れなくて、6921万円で売りました。>これ公募で1170万円。
>あのときは勇気いったよな。5300円じゃなくて、5300万円だもんな。よく乗るだけのお金があったもんだな。
いろいろ複雑な様相。怖い怖い。
これに比べると今はまだ冷静な気がする。
ITバブル当時の話。
オレの場合だけどさ、98年ごろからNet銘柄中心で参加して、バカみたいに利益が上がってたよ。
始めは200マンくらいで資本投下したんだけれど、最後の方は毎日のフォリオの増減が半端じゃない。
連日500万増えて、そのあと連日700万減って・・なんてことになってた。
少なくとも2000年ごろにはデイトレードは珍しく無かったよ。
SBなんか一日のうちにS高→S安→S高なんてあって、S高で売って、S安買戻しとかできることもあったし。上で誰かも言ってるように当時はオールドエコノミーは全く相手にされていなかったね。
なぜといえば、少なくともオレは当時、まだソフトランディングを目指して、構造改革が全く進まないような状況でオールドに投資する気にはなれなかった。
皆もそう感じていたから、ITバブルと言われるように集中したと思う。
崩壊からどのように逃げたか、また逃げ遅れたかについて聞きたい?当時、崩壊が実際の崩壊が起こる前、確か00年の末ごろに大き目の押し目が来たんだよ。
オレは焦って、半分を現金化した。この利益がオレの利益だよ。
オレが焦った理由はあまりにもNETが高くなりすぎていること、まだ伸びる可能性があるし、おそらくそうだと思うが、充分にそれまでの利益確定を我慢してたから、まず、確定したわけです。そのとき、オレは証券会社に電話して“○○と××を半分成り行きで売ってくれ” って言ったんだよ。
携帯でその日に前日の押し目からさらに下がってるのを確認したからなんだけれど、その担当者はいわば、知人みたいな人なんだけれど“今売ったら、買いもどせなくなるかもしれないよ・・今はまたStop,買い気配に張り付いてる”って言われたのを覚えてる。でも、売った。その後はまたそれから30-40%程度の上昇はあったんだよ。
でも、その後、01年の年明けに強烈な押し目が来た。終わったと思った。理由は
@当時の東証の時価総額がバブル時の8割に達していたこと、どう考えてもあの異常なというか、世界中が日本の未来にとてつもない成功を予想していた時代、また日本人もそれを信じていた時代とほぼ同じ時価総額がつくわけがない。
ASBの時価総額がトヨタに迫っていた。これもSBがいかに日本のNETに金鉱を掘り当てていたとしても、まだ不確定要素が多すぎる企業の株価としては例え、幻想代込みとしても許容範囲を超えている。
と思ったわけです。この時点の押し目で日本のNETバブルはピークアウトがかなり明確に感じられました。でも、まだ上がったんだよ。続き、ではなぜ、その後も伸びたか。
これはオレは自分の思い込みではないと信じているんだけれど、NASDAQのせいなんですわw。
NETバブル自体は日本単体でも、つまり、アメリカと日本のNET普及にあまり差が無かったとしても起こっていたでしょう。
でも、実際はそうではなく、好景気かつNetが爆発的に成長を始めたアメリカの影響を強く受けたために、日本のNetバブルは上昇率はもちろん、その後のNetの普及に合わせてもう少し時間をかけて成長すべきところが一気に急上昇をしたわけですが・・そのスピードと規模に恐れをなし、一旦ピークアウトしたはずのNET関連株は、その後、まだ続いたNASDAQの急騰に無理に引きずられる形でさらに一段高のピークを形成しました。
ボクが見始めた頃のナス指数は2000近辺でしたが急騰に次ぐ急騰で、これは僕の自慢になるけれど、3500を越えたあたりから、ナスは5000を叩くんじゃないか・・と漠然と考えていました。
その後はほぼ同時期にナスの下げ転換、光の重田の飛ばし、CSKの理由は忘れたなんかの悪材料で一気に下げに転じました。で、ここからが勝負の時だったのです。
僕は急落の初期には押し目買いが入って、もう少し戻したら売ろうとか余裕を持ってました。
でも、押し目買いは殆ど入らなかったのです。
始めに充分に利益を確定しているという慢心があったわけですが・・
それはまだいい、かなり下げてくるとそれまでの高値を知っているだけに、下がることを充分予想しながら、めんどくさくなって放置したわけでw
そのために明らかに下げ基調を確認してからでも取れたであろう利益を吹きとばしてしまいました。
ゆえに以前の確定分の利益とほぼ同額の利益を取れるチャンスを逃しました。
でも、僕はまだいいほうで、それは比較的早い段階でNET関連を買っていたこと、一部確定をしていたからですが・・逆にその急上昇につられて、比較的遅くにNETに買いを入れ始めた人達はそれでも急上昇する相場で利益が出るので、ポジションを精一杯膨らませて、直後に下げに転じたわけで・・
売ろうにも売れずに悲惨なことになってました。
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