【同一視】 国民って誰のこと?
塩漬け姉さんは、もうずいぶんと長く生きています。
現在10代の方がいらっしゃったら、その方の倍の年月は生きているわけです。
その長い年月の中で、私はずっとある疑問を持ち続けていました。
大した疑問ではないのですが、小学生からずっとです。
それは・・・
現在10代の方がいらっしゃったら、その方の倍の年月は生きているわけです。
その長い年月の中で、私はずっとある疑問を持ち続けていました。
大した疑問ではないのですが、小学生からずっとです。
それは・・・
「私達△△は、○○は□□だと思っています」
・・・という言葉です。
△△は集団名です。
この集団名の中には、国民・会社・チーム・クラスなどの集団名が入ります。
そして、○○というのには、物事の名前が入ります。
例えば、人権・平和・戦争・政治・仕事・就職・学歴・犯罪などもろもろの物事の名前が入ります。
さらに、□□には感情や物事に対する考え方が入ります。
例えば、良い・悪い・いかがわしい・大切・重要などの考え方が入ります。
△△は集団名です。
この集団名の中には、国民・会社・チーム・クラスなどの集団名が入ります。
そして、○○というのには、物事の名前が入ります。
例えば、人権・平和・戦争・政治・仕事・就職・学歴・犯罪などもろもろの物事の名前が入ります。
さらに、□□には感情や物事に対する考え方が入ります。
例えば、良い・悪い・いかがわしい・大切・重要などの考え方が入ります。
細かいことを言うようで何ですが、私は例え親子であっても考え方が完全に同一ではなく、それがましてや集団単位になれば、バラバラにも程がある状態になると思うのです。
ですので、私達△△は・・・と言われると、どうしても
ですので、私達△△は・・・と言われると、どうしても
「どうして、勝手に私をその中に混ぜるかな〜 (-"-#)」
・・・と、思わずにはいられなかったのです。
ですので・・・
ですので・・・
「国民は、○○は□□だと思っています」
・・・という文言を聞くと、ついつい なんでやネン (-"-#) みたいな顔をしてしまうのです。
【国民の考え方】 国民って誰なのさ
国の政策には、どのようなものであれ必ず利害が生じます。
誰にとっても押しなべて全て利益になるものというものは存在しないのです。
一見利益があるように見えたとしても、ある会社の利益を圧迫したり、特定の人々の利益を圧迫したりする面が必ずあると思うのです。
誰にとっても押しなべて全て利益になるものというものは存在しないのです。
一見利益があるように見えたとしても、ある会社の利益を圧迫したり、特定の人々の利益を圧迫したりする面が必ずあると思うのです。
ですので、私は・・・
「国民の為に」
・・・という言葉が、どうしても理解できないのです。
日本国民の中に、利害の対立する人々が存在しているのに、国民の為にというのは、まことにおかしな話のような気がするのです。
日本国民の中に、利害の対立する人々が存在しているのに、国民の為にというのは、まことにおかしな話のような気がするのです。
ですので、もし日本国の為に・・・と思うのであれば、「国民の為に」というのではなく・・・
「日本国の発展を妨げている、○○を改善するために」
・・・だとか、
「日本国にある○○の問題点を改善するために」
・・・という文言が適当であるように思います。
この時に、私が大切であると思う点は、
この時に、私が大切であると思う点は、
「日本国民が思っていることを自分が代弁してやっているという姿勢をとることなく、自分がこのように考えているので、できるだけ多くの人にこの考え方を支持してもらいたいのだという姿勢を見せること」
・・・であると思います。
【((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル】 自分と他者の危険な同一視
先ほども書きましたが、私はある集団の人々を全て押並べて同一視することは嫌なのです。
それは、集団の統率者においては特に危険なことであると思うのです。
それは、集団の統率者においては特に危険なことであると思うのです。
人間関係は関係の大小を問わず、他者の考えと自分の考えの衝突の繰り返しです。
その関係の中で、他者に譲歩したり自分の考えを押し通したりすることが絶えず起こっていると思うのですが、もし他者が自分と同一の考えを有していると勘違いしているとしたら、それはとても危険なことであると思うのです。
何故なら、そのような姿勢の中には他者への考え方の押し付けしか存在しないからです。
つまり、自分が少しでも間違っていた場合は、その集団は一貫の終わり・・・ということになる可能性だってあるわけです。
これがもし、小さな集団で取るに足らない同一視であれば問題ないと思います。その関係の中で、他者に譲歩したり自分の考えを押し通したりすることが絶えず起こっていると思うのですが、もし他者が自分と同一の考えを有していると勘違いしているとしたら、それはとても危険なことであると思うのです。
何故なら、そのような姿勢の中には他者への考え方の押し付けしか存在しないからです。
つまり、自分が少しでも間違っていた場合は、その集団は一貫の終わり・・・ということになる可能性だってあるわけです。
でも、これが会社単位だったり、国家単位だったらどうでしょう?
歴史を見てみると、同一視をしたことによる破壊や混乱はなかったでしょうか?
たかが言葉であるとは思いますが、私はたかが言葉の中にある危険性が重要なのではないかと思います。(ホントに細かすぎるほど細かいことなんですが・・・(´・ω・`))
