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【大判】 金貨を語る 【小判】

金は様々な装飾品として用いられてきました。しかしながら、金の使い道は装飾品だけに留まりません。
「金貨」としても利用されていたのです。金貨とは金で出来たお金です。

金貨はまったくの過去の遺物・・・というわけでも無く、現在の日本でも金貨を手に入れる事が可能だったりします。その金貨とは、世界中で超有名なメイプルリーフ金貨です。
(メイプルリーフ金貨は、カナダの金貨です。カナダ政府の折り紙付きの純度の高い金で作られた金貨です。楓の葉っぱが刻印されていて大変美しい金貨ですので、装飾品としても利用されるようです)

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【お金として利用する】 金貨発祥の歴史

大昔の人々は、金を装飾品としてしか利用しませんでした。
しかし、金が持つ価値と金貨の利便性から、早くも紀元前4000年ごろには、金貨の原型となる金の棒が鋳造されたのです。

貨幣が世に出回るまでは、人々は物々交換によって物を得ていたのですが、金貨が生み出された事によって、人々はより便利に物をGETすることが可能になったのです。

その後、リュディア人によって世界最古の金貨が作られました。試金石が使われ、金の査定を始めたのもリュディア人です。この世界最古の金貨から、精巧で均質な金貨を製造し始めたのは、ギリシャ人でした。この頃には、丸く、獅子の頭の刻印もされている芸術的な金貨が発行されました。

リュディア人が発明し、ギリシャ人によって高められた金貨は、その後のヨーロッパ諸国の金貨の模範となったのでした。

ところで、このようにして生まれた金貨ですが、ヨーロッパ各国では時代によって金貨があちらこちらを行ったり来たりしていたそうです。
人々が金貨を使って物を買えば、物を売った国に金貨が流れますし、その国の人々がさらに手に入れた金貨を使って他所の国から買い物をすれば、その国の人々に金貨が渡ったのでした。

こうやってヨーロッパからは金貨がどんどんと流出。
結局ヨーロッパから流出した金貨を吸い上げ続けたのは、他でもない中国なのでした。
絹や香辛料など、貴重なぜいたく品を手に入れるために、ヨーロッパの人々は貴重な金を渡し、中国からぜいたく品をGETしたのでした。

そのようなことから、ヨーロッパから大量に金を手に入れた中国ですが、中国は巨大なスポンジのように、金を吸収し続けたのでした。お金持ちな人々が、家の中に数多くの金の装飾品を置いているのを見るにつけ、現在でも中国の人々は非常に金が大好きなのが推察できます。

中国には現在でも、本当に金が大好きな人々が多く住んでいるのかもしれません。
(風水の影響かな?)

ここで問題なのは、ヨーロッパから金は流出する一方なのに、どうやって新しい金をヨーロッパ人は手に入れたのかということです。その答えは、他所から物々交換によって仕入れたり、他所の国から奪い取ったりする・・・ということでした。

アフリカ諸国で塩と金を交換して金を手に入れたり、アラブ地方を十字軍で遠征する時に現地の人々から金を奪い取ったり、アメリカ大陸でインディオから奪い取ったりしたのでした。
(奴隷の人々を使って、金鉱から金を掘り出したりする事も、勿論行われておりました)


■ 金貨もインフレ? ■
↑のように金貨は、様々なものを売ったり買ったりするのに大変に便利なものだったのですが、皇帝ネロの時代には、金の量を減らして金貨を大量に作ったために、インフレになってしまったそうです。
金貨でも通貨でもそうですが、お金が足りないからと言って、信用を落とすようなことをしてまで、お金をジャブジャブに作りすぎてはいけないようです。

また、スペインが金をアメリカ大陸から大量に持ち帰ったときには、金の流通量が増えすぎてしまい、金の価値自体が下落。この場合もやはり、インフレになってしまったのでした。


【金がタップリ】 日本には金が豊富?!

昔、マルコポーロが日本のことを「黄金の国ジパング」と呼んでいたそうですが、なるほど確かに日本は金が豊富だったようです。

金と銀の交換レートが各国で定められていますが、日本の金と銀の交換レートは、1対5でした。それが、外国の1対13とはかけ離れていたため、日本に銀と金を交換しに来る外国人が多数いたのです。そうやって金と銀を交換することで、日本の金はドンドン流出してしまったのでした。

ところで、そんな日本では、今でも金鉱があるのをご存知でしたか?
金に取り付かれた女、塩漬け姉さんが保有していた株、「住友金属鉱山」の所有している金鉱山がそれです。鹿児島県の菱刈にある金山は有名なお話です。
日本には未だに金が眠っていることを考えると、何だか妙にドキドキしてしまうかもです。


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